初めての作者さん、。タイトルと表紙に惹かれたので読んでみました。
思ってた以上に考えさせられる内容でした。
将来クローン技術が進めばこういう未来もありうるんだろうなあ。怖い怖い。
本の詳細・あらすじ
ドッペルゲンガーの恋人/唐辺 葉介 (星海社FICTIONS)
――僕の恋人は、死んだ恋人の記憶を植え付けたドッペルゲンガー。
亡くした恋人のすべての記憶を、僕はクローンに植え付けた。新しく誕生した「恋人」との暮らしが、僕と彼女を追い詰めていくとは思いもよらずに――。
まさに待望、唐辺葉介の復活作は、胸打つSFラブストーリー。
スワンプマンの思考実験のような難題
「スワンプマン」とはアメリカのドナルドさんという哲学者の考えた思考実験です。
とある男が雷に打たれて死んだが、同時に傍にあった沼から自分と原子レベルで同一で記憶を引き継いでいる泥人形が誕生した。
泥人形は死んだ男に代わって、彼の住まいへと帰り彼の日常の続きを送る。
見た目も記憶も同一な泥に行がが変わらない生活を送るのならば、男は果たして死んだと言えるのだろうか…。
みたいな思考実験です。詳しくはググってください。
もしくはニコ動のTRPG動画でスワンプマンを題材にしたのがあるのでそれをどうぞ。めっちゃ面白いよ。
この本を読んでいるとどうしてもその話がちらつきます。
あらすじにもありますが、主人公は病死した恋人のクローンを作り生前にコピーを取った記憶を植え付けることで彼女を蘇らせます。
クローンを作る事自体は臓器売買、売春などの社会問題を引き起こすほど技術が進んでいましたが、そこに生前の記憶を引き継がせた例は彼女:木原彗が世界初。
いわゆる永遠の命ともいえることを成し遂げた研究者たちですが、彗は徐々に壊れていきます。
何をもって自分となすのか
スワンプマンの話とこの話の違うところはまず第一に「死んだことを認識しているか」でした。
スワンプマンの場合、生まれた泥人形は多分元の人物が死んだって認識はないと思うんですよね。雷に打たれたけど自分はそのまま帰ったみたいな。
でも彗の場合は自分が死んだらクローンの被験者になることをあらかじめ了承していた。自分が今居るということは「元になった木原彗」は死んでいる。
自分の墓もありそこには自分の骨も納められている。でも自分は木原彗で周りも彗として自分を見てくる。
その矛盾が彗を徐々に壊していきます。
さらにクローンといっても元の身体と全く同じかといえば違うのだそうで。
一卵性双生児は同じDNAを持っていても指紋とかほくろの位置とか細部がことなります。クローンも当然そういったことが起こりえます。
他者から見れば些細な違いかもしれないけど一時になりだしたら止まらない。
そうして徐々に彗は壊れてしまいました。
対照的に主人公のハジ君は「意識が連続していればそれは自分だ」という考えの持ち主で、肉体の多少の違いなど、培養液で育った変化でも年をとって生じる変化でも同じみたいな考え方です。
だから二人は恋人だったのに致命的にかみ合わない。
どこに重きをおくかで変わってくる問題なので一概に正解とかはない難しい問題です。
でも僕は死んだらそこでその人の人生は終わり。クローンに記憶を引き継がせたとしても、それは似たような体験をした別人だと思う。
「自分が死んだ」もしくは「クローンのもとになった人は別のどこかで生きている」と分かっているんだから、それでも自分は自分だと意思を強く持つことはできないだろうなあ。
みなさんはどう思いますか?
前半は彗の言ってる事はもっともだなと思いながら、後半のハジ君の思考の異常さにビビりながら読み進めました。
ラストの展開は予想外で面白かったです。
他の著書も読んでみたい。
コメント